大阪高等裁判所 昭和42年(う)1578号 判決 1968年3月04日
被告人 朱三鳳
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
原審における未決勾留日数中一五日を右本刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人藤井信義及び被告人作成の各控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点及び被告人の控訴趣意(いずれも事実誤認の主張)について
各論旨はいずれも、被告人は原判示のようにアール・スノグラスからメモ一枚をすりとつたことはない、というのである。
しかしながら、原判決挙示の各証拠及び証人藤本孝雄の当審における供述を総合すると、被告人が原判示日時頃、原判示場所において、手荷物を預けようとして順番待ちしていたアール・スノグラスのズボン右後ポケツト内から、金品を窃取しようとして同人所有の本件メモ一枚をすりとつたことは、これを優に肯認することができ、右に反し、所論にそう被告人の原審及び当審における各供述並びに被告人の司法警察職員に対する各供述調書はいずれも到底信用することができない。この点の論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第二点(法令の適用の誤の主張)について
論旨は、被告人がすりとつたとされている本件メモには客観的価値がないことはもちろん、被害者アール・スノグラスにとつて主観的価値があつたか否かも明らかではないので、右メモが財物であることについての証明が不十分であり、したがつて、被告人が右メモをすりとつたとしても、窃盗の未遂にとどまり窃盗の既遂罪は成立しないにかかわらず、原判決がこれを窃盗の既遂として単に刑法二三五条のみを適用し、同法二四三条を適用しなかつたのは法令の適用を誤つたものである、というのである。
よつて案ずるに、財産犯の客体としての「財物」といいうるためには、交換価値ないし経済的価値を有するか、または少なくとも主観的価値を有することを要し、したがつて、右いずれの価値をも有しない物が「財物」にあたらないことはもちろん、右いずれかの価値を有するとしても、その価値が極めて僅少で、いうに足りないような物も、また「財物」とはいいえないものと解するのが相当である。
そこで、被告人のすりとつた本件メモが右いずれかの価値を有するか否かについて考察するに、原判決挙示の各証拠によると、被告人がすりとつた本件メモは横約二一センチメートル、縦約二七センチメートルの紙片であつて、特急「こだま」号四本の小田原から(行先は記載されていない)の発着時間と、英文の書物か詩の覚え書きらしきもの六行が記載されているにすぎないものであることが認められるので、それ自体から交換価値ないし経済的価値のないことがうかがいうるのである。しかも右各証拠に証人藤本孝雄の当審における供述を併せ考えると、本件犯行直後、被告人が現場付近で捨てた右メモを拾つた鉄道公安官八木某がこれを被害者アール・スノグラスに示して被害づけをしたうえ、警察官藤本孝雄において被告人を現行犯人として逮捕し、右メモを差押えたのであるが、その際スノグラスは右差押えを了承し、還付を望む意思を表示しなかつたことが認められるので、右メモは、スノグラスにとり、すでにその必要性を喪失していたものであつて、すなわち、主観的価値もないか、少くとも極めて僅少でいうに足りないものであつたと考えられる。そうだとすると、右メモは財産犯の客体としての「財物」には該当しないものというほかはない。してみれば、被告人は金品を窃取しようとして、スノグラスのズボン右後ポケツト内から「財物」でないメモ一枚を抜きとつたにとどまり、結局窃盗の目的を遂げなかつたものであるから、その行為は窃盗未遂罪を構成するにすぎないものであるのに、右メモを「財物」と認め、窃盗既遂の事実を認定し、刑法二三五条のみを適用して同法二四三条を適用しなかつた原判決は、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものといわざるをえず、右事実誤認および法令の適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。この点の論旨は理由がある。
よつて、弁護人の控訴趣意第三点(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに判決をすることとする。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四二年四月三〇日午前一一時三二分頃、大阪市北区梅田町無番地国鉄大阪駅構内東口携帯品一時預り所前において、手荷物を預けようとして順番待ちをしていたアール・スノグラスのズボン右後ポケツト内から金品を窃取しようとしたが、「財物」でないメモ一枚をすりとつたにとどまり、窃盗の目的を遂げなかつたものである。
(証拠の標目)
原判決挙示の各証拠のとおりであるから、これを引用する。
(累犯前科)
原判示各前科のとおりであるから、これを引用する。
(法令の適用)
原判示各法条のほか刑法二四三条を適用し、本件犯行の罪質手段方法および被告人の前科(七犯、いずれも「すり」)に照らすと、本件犯行が未遂に終つていることを考慮しても、被告人を懲役二年に処するのが相当であると考えるので、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥戸新三 佐古田英郎 梨岡輝彦)